“生かされている”を伝えたい

“生かされている”を伝えたい

30代男性

 大学生のとき、「多発性硬化症」を発症した。自分の体を守るはずの抗体が、自分自身の体を攻撃してしまい、体の自由が利かなくなったり、考えがまとまらなかったりする難病だ。
 以後、日常生活の中で左目が突然動かせなくなったり、物が二重に見えたり、手足のしびれや体のだるさが続いたりした。それでも、治療を受けて症状が治まったこともあり、ことさらに身上について深く考えることはなかった。
 卒業後、横浜市内で就職したが、9年前に再発。地元の沖縄へ帰省し、様子を見ながら仕事を続けた。
 そんななか、5年前にお道の信仰者である妻と出会い、妻の実家である布教所の月次祭に参拝するようになった。しかし当時の私は、自ら教えを求める気持ちはなく、見よう見まねでおつとめを勤めるだけだった。
 昨年5月、足がこわばって体がふらつき、考えもまとまらなくなるなど、これまでに経験したことのないほど、ひどい症状に見舞われた。
 休職し、生活環境を変えるために沖縄県内の離島に移り住んだ。すると、症状は少しだが改善された。
 そのころから、妻におさづけを取り次いでもらうようになり、お道の話を聞く機会も増え、教えに興味を持つようになった。しばらくして布教所に住み込むことになったとき、義父から「いまが旬。きっと症状が良くなるよ」と修養科を志願するよう勧められた。
 不安もあったが、「なんくるないさ(何とかなるさ)」という気持ちで親里の土を踏んだ。

心の使い方一つで

 おぢばに到着すると、詰所主任の先生から「3カ月間、親神様にもたれて通りましょう」と聞かせていただいた。その後、教養掛の先生からも同じような話を聞き、親神様にもたれて通ることと、本部神殿への日参を心定めした。
 修養生活は朝が早く、体が思うように動かないため、詰所から修養科まで歩くことがつらい日もあった。そんななか、おつとめを「しっかりと勤められるように」と、仲間に教えてもらいながら必死に覚えた。
 初めてひのきしんもさせていただいた。当初は意味を説明されても理解できなかったが、それでも不思議と「やるからには全力でさせていただこう」と思え、勇んで汗を流した。
 そして、授業の中で「それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理」というお言葉を聞き、「なぜ自分が身上を頂いたのか」ということを思案した。
 その中で、これまでは「病気になったのは家庭環境や職場環境のせいで、自分は悪くない」と考えていたことに気づき、「正しい心の使い方を教えるために、親神様がおぢばへ導いてくださったのではないか」と悟れた。
 また「体は神様からのかりものであり、心の使い方一つで身上を必ずご守護いただける」。そう信じ、本部神殿でおつとめを勤めていると、自然と感謝の気持ちが湧いてきた。同時に「この身上は、わが家のいんねんの表れではないか。低い心を忘れず、親神様にもたれて通ること。かしもの・かりものの体への感謝の心を、実家の家族にも伝えていかなければ」と思った。

同じ身上の人に

 詰所では、夕づとめの後に修練の時間があった。毎日てをどりまなびを勤めるうちに、少しずつ思うように体を動かせるようになった。教理を学ぶことに加えて、ご守護を実感したことで「この教えは間違いない」と確信した。
 また、修養科中には、多くの人がおさづけを取り次いでくださった。そして、3カ月目には、私もおさづけの理を拝戴した。その日、詰所の仲間が体調を崩していたので、早速、初めておさづけを取り次がせていただいた。
 取り次ぎを終えると、仲間はとても喜んでくれた。その姿を見て、私もうれしくなり、「これからも身近にいる病む人たちに、おさづけを取り次がせていただこう」と素直に思えた。


 修了後、沖縄に戻ってからは妻と共に布教所の御用にいそしんでいる。体のしびれなどはまだ残っているが、新しい仕事も見つかり、働けるところまでご守護いただいた。
 また、同じような身上者が集う「友の会」にも参加して、彼らの話に耳を傾けている。折を見て、お道の話を伝えていければと考えている。
 体は親神様からのかりもので、心だけが自分のものであるということ、そして何より私たちは親神様のご守護によって生かされているという真実を知った自分の経験を、同じような身上に苦しむ人に伝え、少しでもおたすけにつなげていきたい。