いま私にできるご恩報じを

いま私にできるご恩報じを

50代女性

昨年5月、腰が痛くなるなどの体の異常を感じるようになりました。日を追うごとに症状が悪化し、受診したところ、11月になって「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」と診断されました。

進行性の難病で、体中の筋肉が少しずつ痩せ衰え、最後は呼吸困難となり、発症から3年後には70パーセントの人が亡くなる??と説明を受けました。

突然の身上に、「なぜこんなことに……」と、これまでの半生を振り返りました。

私は会社勤めをしながら、90歳になる母の日常生活の世話取りや教会の御用にと、慌ただしい毎日を送っていました。気の休まる暇がなく、大きなストレスを感じていました。

昨年は、教祖130年祭活動の“仕上げの年”ということで、「にをいがけ・おたすけに努めさせていただこう」とは思っていましたが、気がつけば不足ばかりの喜べない日々を過ごしていました。

このことに思いが至ったとき、私の心づかいを反省させるために、親神様が身上にお知らせくださったのだと直感しました。

すぐに心の中でお詫びを申し上げ、「親神様にもたれて神一条に通らせていただきます」と心を定めました。

右足と背中に力が…

今年1月、130年祭を目前にしたころ、私は杖をついてようやく動けるという状態でした。そんな私に対して、上級教会の教友のAさんが「一緒に修養科へ」と声をかけてくださいました。「一人では満足に生活できない状態ではあるけれど、修養科でこれまでの心づかいを反省しよう」と志願を決めました。

しかし、その後も症状は進行し、4月末のスタートを前に、右の手足がほとんど動かなくなり、車いす生活となりました。

付き添いのAさんに支えられ、おぢばに到着した日、ブラジルから帰参し、奇しくもこの日におさづけの理を拝戴された二人の教友に、詰所でおさづけを取り次いでいただきました。

すると翌日、不思議なご守護が現れました。右足に力が入り、動かせるようになったのです。さらに3日後、別の教友からおさづけの取り次ぎを受けたところ、背中に力が入り、歩行器を使って歩けるようになったのです。

おさづけの理の尊さ、ありがたさを、あらためて感じた私は、喜びいっぱいに修養生活をスタートさせました。

修養科でも、担任の先生やクラスの仲間など、多くの人たちが連日おさづけを取り次いでくれました。取り次ぎを受けるたびに、心地よい温もりに包まれる気がして、本当に「ありがたい」という気持ちで心が満たされました。

また、本部神殿でおつとめを勤めるときには、これまでの通り方を反省するとともに、「ご恩報じをさせていただきます」と、親神様・教祖にお約束しました。

不思議なご守護を頂き、多くの仲間に支えられたおかげで、修養生活1カ月目を一日も休むことなく過ごすことができました。

理づくりに努めて

ところが、1カ月目の終盤から体調が悪化し、思うように体が動かせなくなっていきました。さらに、2カ月目に入った直後、詰所で転んでしまい、二日ほど修養科の授業を休んでしまいました。

そのとき、Aさんから「おさづけを取り次いでもらうばかりでなく、あなたも進んで取り次がせていただけば」と声をかけられ、続けて「人間思案を忘れた素直な心で通れば、必ずご守護を頂ける」と話してくれました。

同じころ、修養科の授業の中で、先生が「修了後の理づくりとして、時間を見つけてにをいがけ・おたすけに励みましょう」とおっしゃった言葉が胸に残っていました。

二人の言葉に思い立った私は、授業が終わった後に病院まで通う道中、にをいがけを心がけるとともに、病院の待合室で同じ病気を抱える患者さんに声をかけ、おさづけの取り次ぎを申し出るようになりました。

さらに、組係を務める仲間に誘われて、天理駅前で神名流しや路傍講演もするようになりました。

そうこうするうちに、それまで自身のたすかりを喜んではいたものの、人さまのたすかりを祈る心を持てていなかったことに気づきました。

以後、勇んだ気持ちでにをいがけ・おたすけに努めました。そんな中で、病院で声をかけた方におさづけを取り次ぐ機会を得た私は、そのことに大きな喜びを感じ、「人たすけたらわが身たすかる」の教えを、あらためて実感することができたのです。

修了後の現在は、地元の病院に入院して治療を受けています。検査が無い日は、院内で患者さんに声をかけ、おさづけを取り次がせていただいています。

早く退院して、ご守護いただいた体を使ってにをいがけ・おたすけに歩けることを楽しみに、いま私にできるご恩報じに努めたいと思います。