感謝の心で親心に応えて

感謝の心で親心に応えて

50代男性

信仰に縁のなかった私が、天理教を知ったのは3年前。派遣会社に登録し、大阪で仕事をしていたが、30代のころ仕事が回ってこなくなった。50代を過ぎてからは蓄えが底をつき、住む家も追い出され、着の身着のままで明日食べる物もないような生活を送っていた。

ある日、ふと天理教の教会が目に入った。何げなく訪ねてみると、教会に住む一人の男性が笑顔で迎えてくださった。その方は、教会の前会長であった。前会長は、私の話を聞いてご飯を食べさせてくれたうえに、「教会に住めばいい」とおっしゃった。

以後、毎朝の神殿掃除に始まり、献饌、おつとめ、ひのきしんなど、教会で御用をさせていただく日々を送った。そうするなか、1カ月後には介護の仕事に就くことができた。

しかし、働き始めてからは職場の施設内に住み込むようになり、仕事の忙しさもあって、教会から足が遠のいていった。それでも前会長は月次祭のお下がりを持参されるなど、私に心をかけてくださった。

転機は一昨年10月ごろ。足がむくみ、痛みも出て歩けなくなった。昨年1月に受診すると「精巣がん」のステージ4と診断され、即入院。医師からは「余命2カ月」と宣告された。

そのとき、前会長から「そろそろ、神様のほうを向いたらどうだ」と言われた。その後、毎日おさづけを取り次いでくださったおかげで、2カ月が経っても症状は悪化しなかった。

ところが、4月になって食欲不振や高熱が続いた。入退院を繰り返すなか、前会長から「私が付き添うから、一緒に修養科へ行こう。おぢばでご守護いただけるから」と諭され、ようやく信仰に向き合う心が定まり、志願した。

いまの私にできること

当初はまだ体調が悪く、移動は車いすを使い、痛み止めの薬を飲みながらの修養生活だった。こんな状態でクラスの仲間と打ち解け、3カ月を無事に過ごせるだろうかと不安を感じていた。

そんな心配をよそに、仲間は皆、優しく声をかけてくれ、すぐに親しくなることができた。前会長に初めて会ったときと同じく、「人はこんなにも優しくなれるものなのか」と感激した。

それでもつらかったのは、仲間と一緒にひのきしんができないこと。そこで、「自分にできることは何か」と考えた。「体は自由が利かなくても口は動く」と、朝礼の際に「おはようございます」と、元気よくあいさつしようと目標を立てた。

私があいさつすると、仲間は「おはよう」と言って握手をしてくれたり、「元気づけられるよ」と励ましてくれたりした。みんなに喜んでもらうことで、私自身の心と体に力が湧いてきた。

また修養科中は、前会長からおさづけを取り次いでいただき、私も腰を痛めていた前会長におさづけを取り次がせてもらった。

さらに、おつとめの手振りや鳴物をまだ覚えていなかったので、前会長に付いてもらって自主練習を続けた。

そうする中で次第に体調が良くなり、神殿掃除や草抜きなどのひのきしんを、短時間ではあるが仲間と一緒にできるようになった。

ご守護に報いるには…

1カ月を過ぎたころ、検査を受けると、担当医から「完全完治。もう、がんは治りました」と、信じられない言葉を聞かされた。

付き添っていた妹も驚きを隠せない様子だった。私は「この不思議なご守護に、どのように報いればいいのか」と真剣に思案した。

これまでの人生を振り返ると、心にほこりばかり溜めていたこと、修養科の仲間から「人には冷たく、自分に優しい」と癖性分を指摘されたことに思い至り、「まずは、心のほこりを払わせていただかなければ」と考えた。

そして、そのためにはどうすればいいかを教養掛の先生に聞いたところ、「一日を楽しく過ごし、陽気ぐらしをするように」と諭された。私は一層元気よく朝のあいさつをすること、「むごいこゝろをうちわすれ やさしきこゝろになりてこい」(五下り目六ッ)とのお歌を常に心に置き、優しい心で通ろうと定めた。

また、「修了後は教会の御用に使っていただきたい」と修練に励み、授業にも真剣に取り組んだ。

修了後、自分の足で歩けるまでに回復し、先日は所属教会の月次祭でおつとめ奉仕を務めさせていただいた。

また、別席者をお連れすることや身上者へのおさづけの取り次ぎを目標に、にをいがけに歩いている。

これからも心のほこりを積まぬよう心がけ、ご守護を頂いた親神様の親心に、そして私を教え導いてくださった前会長の思いに応えられるように、感謝の心で道を通らせていただきたい。