ご守護の喜びと感謝を胸に
40代男性
一昨年7月、突然めまいや疲れなどの異常を体に感じ、病院で受診したところ「バセドー病」と診断された。以後どんどん体調は崩れていき、2カ月後には仕事を辞めざるを得なくなった。
これまで元気なことが当たり前だった。まさか自分が病気になるとは思ってもみなかったので、とてもショックだった。
その後、体調は少しずつ回復したが、昨年2月には、原因不明の胸の苦しみを感じるように。さらに、じんましんや胃の痛みなどに見舞われたが、原因は分からなかった。胃の痛みで満足に食事を取ることができず、息苦しさやじんましんの影響で、夜も眠れない日がしばらく続いた。 こうしたなか、昨年9月に母が「修養科へ行けば、たすかるかもしれない」と言った。以前に所属教会の会長さんから声をかけられたこともあったが、行く気になれなかった。しかし今回は、藁にもすがる思いで志願した。 その後、修養生活が始まるまでの1カ月間で病状はさらに悪化したが、おぢばへ出発する2日前に〝不思議〟を見せられた。 息苦しさやじんましん、胃の痛みが急に消えたのだ。鮮やかなご守護に、何が起こったのか分からないまま、親里の土を踏んだ。おさづけの尊さを感じて
おぢば到着後、すぐに本部神殿でぬかずき、身上をたすけていただいたお礼を申し上げた。物心ついてからというもの、教会へ足を運ぶ機会が少なくなり、自ら教えを求めることもなかった。しかし、このとき、それまで遠い存在だった神様が、初めて身近に感じられたように思う。 修養生活が始まると、私の体調を心配して、詰所の先生やクラスの仲間たちが、朝、昼、晩と、おさづけを取り次いでくださった。 そのたびに不思議な温かさに包まれ、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。 おさづけの尊さを身に染みて感じる中で、「私も身上の仲間のたすかりを願いたい」と思うようになった。おさづけの理を拝戴していなかったので、仲間が取り次ぐ場面で真剣に添い願いをさせてもらった。 同じころ、「せっかくおぢばで過ごさせていただいているのだから、教理をしっかり学びたい」という意欲が湧いてきた。 ある授業のとき。講師の話の中で、印象に残った言葉があった。 「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」(『稿本天理教教祖伝』第三章「みちすがら」) 1カ月前、何もできなくて困り果てていただ自分のことが思い出され、健康な体を使わせていただいていることに、あらためて感謝した。「八つのほこり」を学び
このたびの修養科で、初めて鳴物に触れた。最初は全く分からなかったが、少しずつ覚えていき、拍子木や太鼓などを打てるようになった。 また、おてふりの修練に取り組む際には、「かりもの」である体を動かせることへの感謝を噛みしめながら、心から陽気な気持ちで手を振った。 志願したときは座りづとめしかできなかったが、少しずつ、てをどりを勤められるようになった。 修練に取り組むなか、「みかぐらうた」の中に特に印象に残るお歌があった。 「ふしぎなたすけをするからに いかなることもみさだめる」(六下り目二ッ) このたびの身上をきっかけに、おぢばへお引き寄せいただいたことに思いが至り、親神様・教祖の親心を感じた。 そして、これまでの人生を振り返り、感謝の心を持てていなかったことはもちろんだが、陽気ぐらしの教えを意識した通り方が全くできていなかったことに気づかされた。 また、「八つのほこり」の説き分けを学び、嫌なことや困難なことがあると、いつも不平・不満ばかりを口にしていた自分の姿にも思いが至った。心にほこりを溜めていたこれまでの生き方を改め、元気に体を使わせていただける喜びを味わえるようになったと思う。◇
修了後、実家へ戻り、家の手伝いをする傍ら、ご守護を頂いたことへの感謝を胸に、まずは近所のごみ拾いのひのきしんを始めた。朝夕のおつとめは欠かさず勤めている。 また、高齢者が通うリハビリセンターへの就職が決まり、今月から勤めている。身体を思うように動かせない方のお世話をさせていただくに当たって、修養科で学んだことを胸に、その方々の心に寄り添った勤め方をしていきたい。 そして、親神様のご守護のもとに生かされている感謝の気持ちを忘れず、陽気ぐらしに向かって、たんのうの心で生活していきたいと思う。