祖父母の背中に導かれて

祖父母の背中に導かれて

20代男性 

自慢の祖父母がいる。お道を熱心に通りながら8人の子供を育て、苦しい生活の中でも、にをいがけ・おたすけに奔走してきた。

一方、私自身はお道に興味がなく、教えもほとんど知らなかった。

それでも、いつも夫婦が仲睦まじいこと、何事も最後までやり遂げる祖父の芯が通ったところ、人の何倍も働く祖母の人間性に惹かれ、二人を尊敬していた。

高校卒業後、地元企業に就職した。しかし、職場の人間関係に悩むようになり、わずか1年で退職。「すべてから逃げだしたい」との思いで実家を離れ、大阪の友人宅に身を寄せながらアルバイト生活を送った。

両親とは、ほとんど連絡を取らなくなり、祖父母とも疎遠になっていった。

心に余裕の無い生活を2年続けたある日、祖母ががんと診断されたことを知った。

「自分にできることはないか……」。そう考える中で、以前から祖父母や両親に勧められていた修養科のことを思い出した。

そして「祖母が喜んでくれるかもしれない。それに、こんな生活を続けている自分自身を見つめ直したい」と志願を決意した。すると、祖父母の孫として初めての修養科志願ということもあって、思いのほか喜んでくれた。「もっと二人に喜んでもらえる姿になろう」との思いを胸に、親里の土を踏んだ。

〝夫婦仲良く〟の姿に

修養科生活のスタートに当たり、3カ月後におさづけの理を拝戴し、闘病中の祖母に最初に取り次がせていただくことを目標に掲げた。

ところが、慣れない生活に悪戦苦闘する日々が続いた。クラスには信仰熱心な仲間が多く、何も知らない自分がなじめるかどうか不安だった。それでも、仲間や詰所の方々のサポートのおかげで、なんとか通ることができた。

1カ月後の本部月次祭の祭典日、祖父が詰所を訪ねてくれた。そのとき「『私の寿命を縮めてでも、もう少し一緒にいさせてください』と毎日お願いをしながら、おつとめを勤めている」と、祖父が必死にたすかりを願っていることを聞いた。いつも明るく前向きな祖父が、このときばかりは、かつて見たことがない寂しげな表情を浮かべていた。

そんな姿を見て、親里に来る直前、祖母が「私はまだ死ねないんだよ。あの人は私がいなくちゃ何にもできないんだから」と話していたことを思い出した。

互いを思いやる祖父母の深い夫婦愛に、あらためて感銘を受けた。

一方で、修養科の授業でも「他人を思いやる心」「夫婦仲良く通ることの大切さ」について学んだ。

「お道の教えを守り、幾多の苦労を共に乗り越えてきたからこそ、いまの二人の姿があるんだ」。そのことに気づいた私は、祖父母の姿に一歩でも近づきたいとの思いを強くした。そして、さらに教えを求めようと、身を入れて授業を受けるようになった。

「はらだち」を自覚し

数日後、授業で「八つのほこり」の教えの説明を聞くうちに、これまでの生活の中で知らずしらずのうちに、たくさんのほこりを積んできたことが分かった。

周囲の人に腹を立て、悪口を言うなど、特に「はらだち」の心を使っていたことを反省し、「これを機に、思いやりの心を意識しよう」と心を定めた。

さらに、おてふりや鳴物の修練にも力を入れた。すると腹を立てることが減り、心を明るく保てるようになっていった。

そんななか、ある日、階段から転落して、右足の靭帯を損傷する全治2カ月のけがを負った。

修了目前に節を見せられて落ち込む私に、クラスの仲間がお願いづとめを勤めて、おさづけを取り次いでくれた。先生や詰所の方も心配して、寄り添ってくださった。私のたすかりを願う人たちの真実の気持ちに感動した。

振り返ると、3カ月の修養生活は、自分自身の癖性分を見つめ直す機会になった。物事の捉え方が変わり、身の周りに溢れるさまざまな喜びに気づけるようになった。念願だった、ようぼくの仲間入りを果たすこともできた。

修了の翌月、一時帰宅した祖母におさづけを取り次いだ。何度もお礼を言って喜ぶ祖母の姿に、うれしさが込み上げてきた。

また教会の月次祭では、祖父と一緒におてふりを勤め、祖母の回復を願っている。

現在、アルバイトをしながら新たな仕事を探している。

「八つのほこり」など、日常生活の中で意識すべき教えを心がけ、憧れの祖父母の姿に少しでも近づけるよう、一歩ずつ歩みを進めていきたい。